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2005.07.05

人生の終わりに

気になるとか、考えさせられるとか、そういう気持ちよりも、もっともっと心が揺さぶられたニュース。 

マスト折れヨット漂流 宮城 米国籍の畑下さんか
船体に書かれた「MIYA」という船名から、六月に神奈川県三浦市から米国に向けて単独航行に出た米国籍の畑下栄さん(81)のヨットの可能性があるという。
 畑下さんは昭和四十五年ごろ、妻と渡米し米国籍を取得。七年前に交通事故で亡くなった妻が生前、「日本に帰りたい」と話していたことから、遺骨を故郷の長野県に葬るため、自宅を売ってヨットを購入。妻の旧姓「宮坂」から「MIYA」と名付け、太平洋を単独横断して昨年十二月に来日した。
 来日の際も、伊豆諸島・御蔵島沖で漁船と衝突して右腕に重傷を負い、下田海保に救助。ヨットもマストが折れたが、搬送された伊豆・神津島の住民らを中心に支援の輪が広がり、入院治療やヨットの整備を受けた。
 今年四月に納骨を済ませ、六月十五日に修理したヨットで帰国の航海に出た。多くの支援者らが心配して引き留めたが、畑下さんは「日本を捨てた人間だから、このまま日本に滞在できない」と反対を押し切った。つえなしでは歩けないほど足腰が弱っていたが、マグロ漁船のベテラン船員だった畑下さんは、愛艇を置いて空路で帰るのを嫌がったという。
 見送った支援者の一人は「きっと海に帰りたかったのだと思う。なかば死を覚悟した出港だった。やれるだけのことをやったが止められなかった」と語った。
(産経新聞) - 7月5日15時16分更新

ネットで検索したところ、昨年に日本に到着したことの記事もあった。(ヨットニュースの三番目の項目) 写真の表情を見て、「無事でいてほしい」と思うと同時に、「彼はどうしたかったのだろう」とも思う。 



80才で太平洋単独横断

戦後約20年間マグロ漁船に乗り、漁労長になった。捕鯨船に乗ろうと46歳で渡米したが、反捕鯨運動が高まり禁漁に。カリフォルニア州で庭師を経て水道も電気も通っていない土地を買い、農園にして庭木の苗を育てた。今年引退を決め、家と土地を売って新船のヨットを買った。
7年前、交通事故で亡くなった妻静子さんの位牌が入った小さな仏壇が船室にある。「死んだらお父さんのそばで眠りたい」という妻の願いをかなえようと、習いたてのヨットを操り、日本を目指した。
ヨットの名前「MIYA」は静子さんの旧姓「宮坂」からとった。「もっと豊で文化的な生活が出来ると期待していたはず。苦労をかけた」
朝日新聞 ”ひと” より

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コメント

本望とは簡単には言えないが
男子たるもの、かく在りたいと思う!
自分に出来るかな、である。

投稿: オジさん | 2005.07.05 20:56

今朝、ご本人らしい遺体が発見されたそうです。
ご冥福をお祈りします。

投稿: かんたの母 | 2005.07.06 18:00

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